菅前首相「事故の拡大原因は、ほとんど震災前にあった」
http://sankei.jp.msn.com/politics/news/120218/stt12021820490007-n1.htm
民主党の菅直人前首相は18日、栃木県佐野市内の会合で、東京電力福島第1原発事故について「事故が大きくなったほとんどの原因は、東日本大震災が発生した昨年3月11日の前にあった」との見解を示した。
菅氏は、全電源喪失の想定をしていなかった経緯に触れ「担当部局は『反対運動が起きるから考えないでおこう』と準備しなかった」と指摘。同時に「4号機の使用済み核燃料がメルトダウンを起こせば、栃木も東京も避難しなければならなかった」と振り返った。
2012年2月18日土曜日
菅前首相「事故が大きくなったほとんどの原因は、東日本大震災が発生前にあった」
2012年2月6日月曜日
東日本大震災の弔慰金 公務員は2660万円、民間は800万円に遺族が絶句 「同じ被災者なのに、何で・・・」
NEWSポストセブン|東日本大震災の弔慰金 公務員は2660万円、民間は800万円
http://www.news-postseven.com/archives/20120206_85599.html
死者・行方不明者合わせて約2万人を数えた東日本大震災。失われた命の価値に差があるはずがない。
しかし、現実はどうか。肩書きの有無で、「命の値段」が何倍も違うのだ。そこには日本社会の歪な構造が垣間見える。
大震災から間もなく1年。東北の被災住民は、悲しみを乗り越えて新たな生活をスタートさせている。
宮城県の沿岸都市で商店主の夫を失った30代のA子さんは、幼い息子とともに被災地を離れ、関東地方の実家に身を寄せている。
「私と子供を高台に避難させた後、夫は津波に呑まれました。でも、いつまでも悲しんではいられない。
この子を育てていくためにも、生活を立て直さないと……」
そういって、もうすぐ小学校に入る子供に微笑みかけた。「市役所でもらった災害弔慰金や
義捐金を当面の生活費に充てていますが、子供が学校に入ったら、私が働くつもりです」と力強く語った。
新たな生活を踏み出す被災者、とりわけA子さんのように一家の大黒柱を失った遺族にとって最大の悩みは、
今後の生活資金をどう捻出するかである。
震災犠牲者遺族に対して支払われる弔慰金は、「災害救助法」に基づいて定められている。
その金額は死亡者が世帯主なら500万円、被世帯主なら250万円。全国から集まった義捐金の配分額が110万円
(宮城県)であることを考えれば、弔慰金は新生活の命綱といっても過言ではない。
しかし、実際に受け取る公的な弔慰金は、死亡者の「職業」によって数倍の違いがある。
そのことを伝えると、A子さんは「えっ……」としばし絶句した。
「私と同じ悲しみを抱える方に“ずるい”とはいえません。でも、同じ被災者なのに、何で……」
法律に基づく弔慰金は、前述したように一律である。国が50%、県が25%、市が25%を負担し、
震災で死亡、もしくは行方不明(※1)と認定された人の遺族は、居住していた自治体に申請すれば受け取れる。
だがこの額は、あくまで全国民共通の「1階部分」にすぎない。大半の自営業者の場合、「500万円」が国の定めた〈命の値段〉となる。
勤務中(通勤中なども含まれる)に死亡した民間サラリーマンや一部の自営業者(※2)は、労働者災害補償保険法により遺族特別支給金が300万円支払われる。
いわゆる「労災保険」で、これが「2階部分」に相当する。今回の大震災では、労災は申請のほぼ100%が認められた。
就学年齢の子供がいる場合に限り、月額1万2000〜3万9000円の就学援護費が支給されるが、
基本的に500万円+300万円の「800万円」が民間サラリーマンの〈命の値段〉ということになる。
公務員にも「2階部分」が存在する。
まずは地方公務員災害補償法により、300万円の遺族特別支給金が支払われる。これは民間の労災認定と同じ。
だが、それだけではない。対象者には「遺族特別援護金」として、1860万円が加算されるため、
「2階部分」は合計2160万円となる。この対象者は「就学児童がいるかなどの条件はない」(地方公務員災害補償基金本部)という。
つまり、これに1階部分(500万円)を加えた「2660万円」が公務員の〈命の値段〉なのだ。
同本部に根拠を問うと、「民間企業では労災とは別に、就労中に死亡した社員の遺族に見舞金や援護金などが支払われる。
人事院の調査に基づき、民間に準じる形で1860万円という金額が設定されています」
と説明する。公務員給与の議論で必ず登場する「民間並み」の常套句だが、企業の人事労務に精通する社会保険労務士は首を傾げる。
「1000万円超の弔慰金・見舞金を支払う企業もありますが、それはごく一部の大企業に限られます。
平均的には10万〜50万円。1860万円という額は、果たして妥当なものでしょうか」
2012年2月4日土曜日
東日本大震災 被災地でパチンコ店が大流行!義援金がパチ屋に流れていく/(^o^)\
俺らの義援金で朝からパチンコ三昧
マジ死ねばいいのに
<ザ・特集>東日本大震災 被災地でパチンコ店がはやるワケ
http://news.goo.ne.jp/article/mainichi/life/20120202ddm013040009000c.html
東日本大震災の被災地で、パチンコ店がいち早く復旧し、にぎわっているという。銀玉をはじく被災者の胸の内はいかなるものなのか。“自腹″の軍資金1万円を握りしめ、被災地のホールをのぞいた。【浦松丈二】
◇「暇つぶし」大負けしても日参 正月営業は前年比大幅プラス
◇ギャンブル依存症、深刻化 息抜きと区別つかず、対策困難
宮城県石巻市の郊外。雪に覆われた街並みに、津波で1階部分が流された民家やシャッターが閉まったままの商店が点在する。津波で浸水し、約半年後に新装開店した大型パチンコ店を訪れた。平日にもかかわらず、開店前には約40人の列ができた。
「雪の日にも来てあげたんだから今日は出してくれるよね?」。この日の最低気温は氷点下5度。毛糸の帽子を深くかぶって並んでいた年配の女性が若い男性店員に念を押した。店員とは顔見知りのようだ。
「ご来店ありがとうございます」。午前9時。女性のアナウンスで店内に入る。どこに座ろうか、まごまごしていると全員がパチンコ台の前に座ってしまった。迷った末に最前列に並んでいた年配の男性の隣に座ってみた。
ゲーム開始。玉が中央の穴に入ると画面の数字が回り、三つそろえば大当たりだ。約8000円分の玉が一気に吐き出されるという。連続で大当たりすることもあるらしい。ところが、1000円で遊べたのはほんの数分間。「次こそは」と打ち続けると、わずか30分間で1万円がなくなってしまった。
我に返って店内を見渡すと300席以上ある台の8割が埋まっている。7、8人に1人が大当たりして、出玉の箱を何箱も積み上げていた。正午過ぎには、ほぼ満席になった。ずっと打ち続けているお年寄りの台の上にある表示を見ると「大当たり回数0回」。開店から3時間。30分1万円として推定6万円は負けている。娯楽は数分、その後は大バクチの世界だ。
店を出てきた客数人に声をかけた。「勝ちましたか」と聞いても、「いやあ」「まあ」とあいまいな返事ばかり。一様に暗い表情だ。来店してきた中年女性は「負けた人は何も話さないでしょう。家族に内緒で来ている人も多いからね」と言う。「開店から並ぶ客は毎日来る人。借りてでも打ちに来る」と眉をひそめた。
「あれから大当たり出ましたか」。午後1時すぎに店から出てきたお年寄りに声をかけた。開店時から隣に座っていたと告げるとバツの悪そうな顔になった。「きょうはダメだったなあ。11連チャン(連続11回大当たり)した日は少し勝ったっけねえ」と話すが、時期や金額ははっきり覚えていないという。
大負けしても毎日のようにパチンコに通う理由を聞くと「震災前はあまりやってなかった。津波で息子を失い、家も流されて、ばあさんと2人で近くの仮設住宅に来てからは知り合いもいない、やることもないから、まあ、暇つぶしだ」と横を向いた。パチンコは若いころからやっているという。
仙台市のパチンコ業界関係者は「娯楽の少ない石巻など沿岸部は、全国でもパチンコ店の多い地域。宮城県内のお正月営業は、各チェーンの1番店(営業成績トップの店舗)なら震災前の前年同期比でも大幅プラスになっていると思う。震災の影響が残る店もあるが、今年は全体でプラスに転じるのではないか」と予想する。
石巻市で地域に密着した被災者支援を続ける「NPO石巻復興サポートセンター」の遠藤司さん(49)は「震災後、厳しい現実から逃れるためにパチンコ店を訪れ、深みにはまる人も多い。震災が言い訳になっている側面もあるでしょう。孤独を深めた一部の被災者がギャンブルやアルコールに依存していく悲劇が生まれています」と話す。
長年、依存症の治療に取り組む田辺等・北海道立精神保健福祉センター所長(精神科医)によると、災害後、被災地でギャンブル依存症が増加することはよくあるという。「ギャンブル依存症やアルコール依存症、また、その傾向のある人は、被災生活が長期化すると症状の再燃や悪化のリスクが高くなる。本来、自分が能力を発揮すべき仕事や学業、家族関係が失われ、仮初めの生活をしている情けなさや将来への不安などが長く続くことで、アルコールやギャンブルを使いたい気持ちが高まる。また、治療のために通う当事者グループへの参加が、災害によって途切れてしまうと、リスクがさらに高まるからです」と指摘する。
ギャンブル依存症とは、気分が晴れず、自尊心の失われた状態の時、賭け事に勝って刺激を受け、それが習慣化して、賭け事をやらないと気が済まない状態になること。生活資金などを投入してしまうため、問題化し、二度とやらないと誓っても、家族に隠れてまで続けることから「否認の病気」とも呼ばれる。
どう治療するのか? 田辺所長は「まずは依存症を治療している病院や精神保健センターを訪れ、専門家に判定してもらうこと。本人と家族が依存症だと受け入れる作業から治療が始まります」と説明する。その後は「専門家のアドバイスを受けながら、依存症患者の当事者グループに根気よく通い、生活スタイルを切り替えていく。ギャンブルをしなければいいのでしょう、と本人が思うだけでは決して回復しない」と強調する。
被災地では「保健師やボランティアが、依存症を判定するチェックリストや相談窓口のチラシを配るほか、生活が破綻した依存症患者やその家族が頼る債務相談窓口の司法書士らと依存症の専門家が連携していくことも有効」という。同県ではすでに司法書士のグループがギャンブル依存症の専門家を招き、学習会を開くなど対策を始めた。
だが、被災者の心のケアに取り組む別のボランティアは「被災者と一口に言っても、生命保険や義援金を受け取った人から、仕事を失って何の補償もない人まで懐具合はさまざまです。パチンコをしていたとしても適度な範囲なら息抜き。ボランティアの立場で、被災者のお金の使途を聞き出すことは困難です」と、難しさを説明する。
午後7時。同じ店を再び訪れると店内は順番待ちする人まで出ていた。中学生ぐらいの女の子が、誰かを捜している。出玉の箱を5箱積み上げていた女性の所へ。短く言葉を交わすと女性が1000円札を手渡した。女の子の顔が一瞬、悲しそうにゆがんだ。
店を出た女の子に追いついて「お母さんなの?」と声をかけると、うなずいた。「1000円もらったよね?」「『隣でご飯を食べておいで』って。あそこのレストランに行くところ」「お母さんは毎日パチンコに来るの?」「『パートに行く』と出ていくのだけれど……」。最後は消え入りそうな声だった。
誰かを責めて解決することはないだろう。被災地の闇をパチンコ店の青白いネオンが寒々と照らしていた。
2012年1月29日日曜日
【東日本大震災】3月11日、歩いて帰った「34%」 30キロ以上歩いた人も 首都圏帰宅困難者
震災後、歩いて帰った「34%」 首都圏帰宅困難者
東日本大震災の首都圏の帰宅困難者のうち、鉄道などの復旧を待たず歩いて帰った人が34%いたことが28日、鉄道総合技術研究所の調査で分かった。
震災時、東京23区の勤務・通学先にいた16歳以上の男女計960人が回答。運転再開を待ち鉄道で帰宅したのは47%で、バスやタクシーなどを利用した人は14%だった。残り5%は宿泊施設や知人宅に向かった。
徒歩の歩行時間は休憩を除き平均3時間9分、平均距離は13・4キロ。30キロ以上歩いた人も11人いた。
昨年3月11日は午後6時20分にJR東日本が首都圏在来線の終日運休を発表。午後8時40分には一部の地下鉄が運転を再開したが、徒歩帰宅者の93%は同9時までに勤務先や学校を出ており、うち4割近くは「鉄道の運行状況を知らなかった」と回答した。対照的に鉄道利用者の84%は同9時以降に出発し、うち8割近くがインターネットやテレビの運行情報を得ていた。